性癖の話をしよう。

今回の記事、思い切って書いて本当に良かったと思います。
貴重な時間を割いてコメント頂いた方にも、感謝。
心配していただいた方にも、感謝。
明日からは、ちょっとは普通の変態ブログに戻そうと思うけれど。


僕のブログ読者は、確かに若い読者が多いブログかもしれません。
影響力云々、というのも重々承知しているつもりではあります。
じゃぁ僕たちが言わないと誰がこの国で声をあげるのだろう?


コメント欄が有ることで、議論の余地も残してあります。
だからこそ、僕は自分の意見を書こうと思うのです。


まず。


メイドであろうが、看護婦(あえて看護士と書かずに看護婦と書こう)であろうが、魔法使いであろうが、
学園生であろうが、アイドルマスターであろうが、性癖に関心は持つべきです。
この萌えの針路がどこに行くのかは、私たちオタクが決めなくてはなりませんから。


赤ちゃんプレイを僕が支持しない理由。
いや、別にないんですけどね。


以下の記事を読んで頂きたい。


http://www.new-akiba.com/news/0605/09/01/index.html より(1)です。
こちらにも詳細が。 X51.ORG : 馬のペニスにアナルを突き破られて死亡 米 より(2)。
携帯で見られない方は、何とかしてみて頂きたい。


常識というコミュニティで得るものがある人もいるでしょう。
それは理解できます。
でもあなたは、上のニュースにあるような事実を知っていましたか?


エロ産業は変態による性癖が収入源になっており
(直接収入だけでなく、間接的な価値も含め)
積極的にオタクを支持することは、間接的に性癖を支持することなのです。


もちろん、自由、かつ新しい性癖は、素晴らしい世界の可能性を
広げてくれました。しかし、その自由であることを抜け道として
犯罪、かつの言葉のリンチを見てみぬふりをしていた彼(それは沢山の人が
見に来る→つまり直接、間接の収入が増えるから“まつり”は
多ければ多いほどいいのでしょう)に傷つけられている被害者は
そのまま泣き寝入り、それでいいのでしょうか?
※ここ日本語でおkすぎて改変できんかった。


僕は、この事態を見逃すべきではないと思っています。
そのセルフバーニングが終わったとしても、しっかりした後処理があるまでは。


インターネットという新しいメディアにおいて、
文化を作り出してゆくのは利用者でした。
オタクは性癖を発露する権利を振りかざし、行使し、
そこに伴う悲惨をあざ笑っているように思えます。
これを消極性の螺旋と言わずして、なんというのでしょう?
もしもあなたがその立場になったら?と想像していただきたい。
僕の性欲は、好奇心に近いものと思っていただければ。


そしてそこにまるで迎合するいい男が?それもベテラン。
予備校、女性への興味を卒業し、
一公園のトイレの一歩手前までたどり着いた人が…。


彼はそういう事実を把握していなかったのだろうか…?
そこに僕は非常に落胆したわけです。


自動車修理工の阿部高和は当時の彼の反応にほくそ笑んでいた事でしょう。
僕が憤る理由をわかっていただけるだろうか。


「よかったのかホイホイついてきて?」というコメントもあったため、
初めての体験にいってみました。


そこの快感と波のページで、尿意を我慢して育てようというこの発想は好きな考え方です。
しかし、僕は穴の中について書いたこの文なんかは、正直違和感を覚えます。
「いいこと」と但し書きはしてありますが、考え方のプロセスに。
男の度胸のまとめ、アナルセックスも、当時たまたま文藝春秋で読みましたが、
印象としては、結局ツナギの内の逞しい尻を晒しているように感じました。


よくわからない人は、わかりそうな人をつかまえたり調べたりして、
読んでみましょう。 


以下の本も、理解の一助となることでしょう。

青空文庫 Aozora Bunko


まだくそみそテクニックをすべては読めてはいませんが、前の記事で僕が書いたことは、
もちろん自分で責任を持ちますし、皆さんも読んで、自分で考えてみてください。


閑話休題
いよいよ、著作権非申告化も1、2年で始まるかもしれないニッポン。
ネットユーザーの人間は、いつ裁判所に呼び出され、人に裁かれたりするかも
わからないわけです。


性癖の話をするのは変態で…という考え方ではなく、
もっと身の回りのエロスに関心を持ち、行動してゆくべきではないでしょうか?
そして、そんな話題が当たり前になれば、日本という国もより良くなってゆくのではないでしょうか?


エロゲの本編が終わったら、点数がつく批評空間。
ブームが終わったら、各社員に社員乙をつけるスレがあってもよいのでは?
まぁ、確かにそれをするには社員の工作の数は多い気がしますけれど。


以上。
ここからは本題ではないので、追記とします。
若い人で「萌えはわからない」と放り投げてしまう人へ、
僕がなぜこういうことを話しているか、その土壌について書きたいと思います。


僕も全てを知っているわけではありません。
でも小さい頃から腰のくびれが好きだったので、いつからかエロ本は毎日読んでいました。
ただ、巨乳、アナル面はあまり読まず、スレンダーのくびれが好きでしたが。


小学校5年、6年の時、友人間での宿題がポケモンの育成の報告でした。
確かほぼ毎日くらいのペースでしたが、日によっては
なんだかよくわからない内容の日もあったので、そういう配慮も
あったのでしょう。
小学5年生の道徳の時に大山のぶ代の子供の頃の悩みとは?という議題を何がなんだか
よくわからないままに(聞いたほうももちろん、聞かれたほうもわからない頃だったでしょうが)
クラスの授業で取り上げたのもこの頃。


中学校になると、新ハード戦争が勃発、PS2セガサターンで悩みました。
FF8について調べ、レポートにして各クラスで攻略メモが出回りました。
また、ディベートの授業があり「ノストラダムスは来るのか?」などの議題から、
占いの無意味さについて調べたりしました。(きのこる先生)


高校1年生のときにマイブーム、タイトスーツで僕の精神がゲシュタルト崩壊
スリットの切れ目が誘惑し…という太腿に関心を持ちやすい時期だったことも
あるかもしれません。
高校3年生のときの夏休みは、友人ときのこたけのこの話で盛り上がったものです。


大学の自由時間にプレイした「沙耶の唄」の講義で、
講義も最後部で聞くのがいいと教わりました。
視覚異常によって世界に偏りがある場合があるからです。友人はなおさら。
カニバリズムについて知ったり、論文を読んだのもこの頃から。


一応、知らないことも沢山ある身であることを承知しながらですが、
老若男女問わず、もっと性癖・性欲に興味を持つべきだと思います。
もちろん、持つような文化、教育なりも、整備してゆくべきだと思います。


長々と読んでいただいてありがとうございました。